愛理ちゃんの事を考えてみた

日付変わって4/12は、愛理ちゃんの誕生日だからね。
愛理ちゃんを考えて色々思い出すと、胸がドキドキしてくる。
愛理ちゃんを推すって行為は、無酸素運動なんだよな。


前も書いたけど、今も、かたっぺ=愛理推しって思ってる人もいてくれる。
もちろん実際にも、前以上に愛理ちゃんの事は大好きだし、
大好きな愛理ちゃんを、誰かが超えて行ったなんて事でもないし。


だけど普段は、かなり冷静でいられるんだよな、愛理に対しては。
こうやって振り返ると、まるで自分が二重人格みたいなように、
必死に愛理を推してるかたっぺと、冷静なかたっぺが、二人いる。
今は、冷静な愛理推しかたっぺだ。


いい状態で、「愛理ちゃんのその時」を見たいっていう思いが、
冷静な時期を作っているのかな。
僕の、愛理ちゃんの推し方とか、求めるてるものが、そうさせてるんだな。
なんか、どう推してるのかなんて、考えた所でしょうがないんだけど、
愛理ちゃんを推すのは、難しいんだよ。
もういいやって思う時と、息をする間も惜しんで愛理を推したい時と、
そんな時期が交互に来ている感じ。


愛理ちゃんを追うのは辛いんだよ。
でも、愛理ちゃんを見逃すわけにはいかないんだよ。
もうそれは、推し変えとかそういう次元の話ではないんだな。
この世の行く末を見届けたい、そんな思いに似てるんだ。